九州の霊峰・英彦山ひこさんに抱かれ、玄界灘・周防灘を望む北九州。この一帯の酪農の興りは、戦後混迷期の食料対策としての生乳生産でした。自給自足のためであった生乳の生産は、やがて処理販売へと発展し、1949年にはニシラク乳業の前身である西日本酪農協同組合が誕生しました。以来、酪農家による組織であることを誇りに、生産者が愛情込めて生産した生乳をおいしくお届けすることを使命として、現在まで歩み続けております。